たばこ祭
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たばこ祭は、たばこ耕作者の慰労会として始まったといわれています。正確いえば第1回たばこ祭は、たばこ耕作者の慰労会というだけでなく、たばこの増産と沈滞した地域の活性化を目的に企画された行事の一部だったのです。
昭和23年、戦争の影響で秦野のたばこ耕作は衰退、戦後の不況期とあいまって、「はだの」は活力を失っていました。
しかし、この年 神奈川県煙草耕作組合連合会の創立25周年であったことから、その記念と戦後の不況期を官民一体となって乗り越えようという思いから、様々な行事が企画されたのです。
このうち、たばこ耕作者慰安会が、独立して「第1回たばこ祭」となりました。
第1回たばこ祭は昭和23年10月1、2日に秦野専売支局収納場の敷地で開催されました。内容は歌舞伎劇、人形芝居、民謡踊りなど極めてシンプルで規模も小さなものでした。
しかし戦中落ち込んだ「たばこ耕作」を再び発展させ、秦野の町村を復興させるという強い意気込みと熱意で始められたのです。

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たばこ祭は、第2回にはたばこ娘のコンテストが行われ、華やかさが添えられました。このコンテストは後のミスたばこに発展することになります。
当時のコンテストは、容姿だけではなく、手先が器用であること、良く働きたばこ耕作に関心があることなども基準となりました。
その対象も秦野地方に限らず、広く県内のたばこ耕作町村からの選出でした。
続く第3回には、現在にも残る「秦野煙草音頭」が完成します。
現在にも続くたばこ音頭パレードは、この年の煙草音頭大会がはじまりです。
以後秦野煙草音頭はたばこ祭の中心行事となっただけでなく、いろいろなイベントで歌われるようになりました。
そして、たばこ祭も回を重ねるとともに、単なるたばこ耕作者の慰労会というだけでなく、周辺住民も楽しめる祭りへと姿を変えはじめました。